今日の一枚は、教会の玄関に飾ってある仏像です。これは信者さんが彫られたと聞いて驚き‼️です。
早いもので2月に入りました。今日は朔日(ついたち)参り(布薩の日)です。寒修行もいよいよ明日の節分までです。
現在、11都府県には緊急事態宣言が出されており、地域によっては信者さんの参拝できない教会があります。福井教会は式典などたくさんの方が集うことはできませんが、個人の参拝はできます。
そのような状況の中、自分の居る場所が道場として取り組んでいることと思います。今一度、「道場観」について学んでみたいと思います。
○道場観(どうじょうかん)
「當(まさ)に知るべし、是(こ)の處(ところ)は即(すなわ)ち是(こ)れ道場なり。諸仏此(しょぶつここ)に於(おい)て阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)、諸仏此に於て法輪(ほうりん)を轉(てん)じ、諸仏此に於て般涅槃(はつねはん)したもう」
現代語訳
「みなさん、いまこそはっきりと知るべきです。この場所こそ、私 (釈尊) が悟りを開いた場所と同じなのです。そして、法華経(ほけきょう)が心から信じられ、心にしっかり受け、もち続けられ、修行され、生活のうえに実行されているこの場所こそ、まさに諸仏(しょぶつ)が最高の智慧(ちえ)を悟られた場所であり、諸仏が永遠の教えを説かれる場所であり、諸仏が入滅(にゅうめつ) (亡くなられる) される場所なのです」
経典の最初に読誦(どくじゅ)する「道場観」は、法華経・如来神力品第二十一に説かれる一節です。「道場」とは、私たち信仰を持つ者にとって、どのような意味を持つ場所なのでしょうか。
一般的に道場というと、柔道や剣道などの武道の修練の場と考えます。私たちにとっては、教会道場が思い浮かびます。
ご本尊のみ前で読経し、サンガの仲間と法座を囲む教会道場は、仏道を歩む者が求道心を高め、慈悲心あふれる心境へと導いてくれる大切な場所です。
しかし、「道場観」をかみしめると、道場とは修行のための特定の場所や建物だけではないようです。つまり、諸仏が悟られた最高の智慧を求めて生活すれば、いつでも、どこでも、その場が道場というのです。
たしかに、私たち在家仏教徒の生活の場は、家庭や職場、学校です。教会道場は、社会生活を営むうえで、仏の教えを実践するための、いわば稽古場(けいこば)ともいえるべき場所です。
ですから、仏道を歩む私たちに大切なことは、いつでも、どこでも、仏の智慧を求め、慈悲の行ないを広げる努力をすることです。経典の初めに「道場観」を読誦することで、この気持ちを新たにしたいものです。
それによって、どこにいても、知らず知らずのうちに、教会道場と同じような心境で過ごすことができるようになります。
今いる場所が道場であるという気持ちで、目の前の人に喜んでもらえるように、明るく、優しく、温かく、まごころ込めて取り組んでいきましょう。
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