お彼岸会も残すところあと一日になりました。
お墓参りやご自宅にてお彼岸のご供養をされた方、これからされる方もいることと思います。
今回も彼岸について、開祖さま「佼成」ご法話「彼岸会と到彼岸 外から内へ 内から外へ」(1974年9月)より学んでいきたいと思います。
◎悟りを活性化するには
道元禅師は、右の文章につづいてこう述べておられます。「万法に証せらるるというは、自己の身心、および他己の身心として脱落せしむるなり。悟迹(ごしゃく)の休歇(きゅうけつ)なるあり、休歇なる悟迹を長長出(ちょうちょうしゅつ)ならしむ」と。意訳すれば、「万法によって証せられるとは、自分の心身とか他人の心身とかいう、被っている殻を脱ぎ捨てることだ。つまり、殻の下にある人間の本質はみんな同じく仏なんだ、ということを悟ることだ。しかし、こう悟ったあとで、その悟りに停滞している人があるが、それはいけない。そこから飛び出し、悟りをどこまでも伸ばし生かしていかなければならないのだ」ということになりましょう。
一度悟ったら、その悟りは永久に身についていると思うのは、大間違いです。生きているものすべて、ジッと動かずにいますと、しだいに生気を失い、ヒカラビてきます。悟りも生きものです。悟ったからもう大丈夫と、その上にあぐらをかいていますと、悟りはいつの間にか活性を失い、カビが生えてくるのです。そこで、つねに“長長出”させなければならないのです。
では、どうしたら長長出できるのか。ほかでもない、六波羅蜜を行ずることだと、わたしは思います。すなわち、精神的・物質的・肉体的のあらゆる面から他のために尽くす(布施)、つねに仏の戒めを守ることを心がけて、正しい生活をし、自己の完成に努力することによって他を救う力を得たいと願う(持戒)、他に対して寛容であり、いかなる困難をも耐え忍び、得意の状態にあってもおごらず、平静な心を保つ(忍辱)、つまらぬことに心を奪われず、本来の使命に向かって一心不乱に励む(精進)、どんなことが起こっても迷ったり動揺したりすることのない落ち着いた心を保持する(禅定)、諸法の実相にもとづき、つねに天地の道理に従って判断し、行動する英知を持つ(智慧)‥‥この六つの徳を完成するための修行をなしつづけることです。
こうした絶えざる“動”の中にこそ、悟りは生かされ、伸ばされていくのです。波羅蜜というのは梵語(ぼんご)のパーラミターの音写で、もとの意味は到彼岸(彼岸に到る)ということです。此岸(しがん)は汚穢(おわい)に満ちた迷いの世界、彼岸は美しい常寂光土です。その中間には、業(ごう)・煩悩の濁流が渦を巻いています。その濁流を乗り切って彼岸に渡るには、どうしても右に述べたような六つの修行という船が必要なのです。それゆえ、六波羅蜜のことを六度(ろくど)(度は渡と同意)ともいうわけです。
とにかく、ただジッとしていたのでは、彼岸へは渡れません。行動しなければならないのです。船に乗り、船を漕いでこそ、たとえ少しずつでも彼岸に近づくことができるのです。これは、もちろん個人の問題だけでなく、人類全体が平和世界という彼岸に達するためにも、やはり行動が必要なのです。わたしどもが布教活動をするのも、明るい社会づくり運動を進めるのも、世界宗教者平和会議に力を入れるのも、そうした行動にほかなりません。
秋は心が内へ向かう時期だと冒頭に申しましたが、その“静”は新しい“動”を内に孕(はら)んだものでなくてはなりません。あたかも秋に実る植物の種子が一粒万倍のエネルギーを秘めているのと同じです。
どうか、以上のようなことをしっかりと噛みしめて、ここで到彼岸のための新しい出発をしていただきたいものであります。
お彼岸を迎え、最高の先祖供養、別の言い方で表現するとご先祖さまに喜んでいただけることは、今ある命に感謝をし、目の前の人に喜んでもらえるように思いやりの実践、行動に取り組むことです。
まず私から優しくなっていきましょう!
今日も一日よろしくお願いします。
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