今日も六波羅蜜の布施について、特に布施の中の「身施(しんせ)」について学んでみましょう。開祖さまのご著書「菩提の萌を発さしむ」(P214)では、次のように教えてくださっています。
「身施」は体を使ってする布施です。その気持ちさえあれば、だれでもできる大切な布施です。電車やバスのなかでお年寄りに席を譲ってあげるのもそうですし、街で道を聞いた人をわかりやすいところまで案内してあげるのもそうです。もっとはっきりした意図をもってする、さまざまな奉仕活動ともなれば、さらに価値の高い「身施」です。
そうした「身施」の典型ともいうべき実践者は、1979年度のノーベル平和賞受賞者のマザー・テレサでしょう。彼女は、インドのカルカッタ(現・コルカタ)の路上で生活している孤児や、死にゆく人びとに救いを与えることに生涯をささげておられます(平成9年に逝去)。
それも、最初から大きな仕事をしようと考えられたのではなく、目の前にいる一人を助けることから始められたのです。マザー・テレサはこういっています。「私は、ある人の世話をします。そして、もしできるなら、ほかのもう一人の世話をします」と。そうしているうちに、いつしか九千人もの孤児を救われたのです。
そういった行為が、深い信仰に裏付けられていることも忘れてはなりません。マザー・テレサはこうもいっています。「キリストは目に見えませんから、キリスト自身に愛をささげることはできません。でも、人間は目に見えます。ですから、もしキリストが目の前にいらしたら、してさしあげたいと思うことを、その人たちにするのです」と。
もちろん、「身施」というものは、マザー・テレサのような聖者でなくても、ごくふつうの人にもできるのです。(中略)
立正佼成会では、この「身施」をとても大事に考え、その実践に力を入れています。教会道場のいろいろな当番もそうですし、街の清掃や、途上国への援助のための奉仕活動もそうです。
そんな仕事を一心にやっていますと、雑念がなくなります。心がきれいになるのです。ですから、長年の慢性病などがいつしか治ってしまう例が、数え切れないほどあります。これは、科学的には心身医学がその理由を証明していますが、私はそれと同時に仏さまのご加護によるものであると思うのです。人のために奉仕することは、仏さまがいちばん喜ばれることだからです。
まず、目の前の人に喜んでもらえるように一所懸命に取り組むことも、「布施行」の中の「身施」になるのですね。
今回は、目の前の人(家族や職場の方、出会う人)に喜んでもらえるように、自分のできることに真心込めて取り組んでいきましょう。
次回までよろしくお願いします。
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