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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)54号~

今回の写真は本部の方から送っていただいた、開祖さまご墓所(佼成霊園)の入寂会の日の写真です。

前回、「佼成」1999年12月号「開祖さまご入寂特別号」の中から、長沼基之立正佼成会特別顧問の記事を紹介しました。今回は後半の部分を紹介したいと思います。


○慈悲行の実践

開祖さまは、まったく「我」のない人でした。自分を偉く見せようとか、飾ろうとか、そんな気持ちは少しもありません。ですから、どなたと会われても「相手から学ぼう。教えてもらおう」という姿勢で臨まれるのです。我がないから、何でも吸収できてしまうのです。

我がないと言えば、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)は「己(おのれ)を忘れて他を利するは、慈悲の極(きわ)みなり」と説かれました。開祖さまは、まさしく利他行(りたぎょう)の実践者でした。

新幹線のトイレが汚れていれば、あとの人のためにと掃除をする。大雪の日、路肩に乗り上げて動かなくなった車を見かければ、何のためらいもなく秘書と車を降りて、一緒に車を持ち上げ道路にもどしてあげる。開祖さまは、こうした慈悲行が自然にできるお方でした。身を使うことが大好きでしかたがないのです。ですから、世界宗教者世界会議(WCRP)設立のときも、開祖さまは自ら使い走りの役を買って出て、世界を駆けめぐられたのです。人の嫌がること、面倒なことを率先してやられる。だからこそ、そのお姿に多くの人がついてきたのです。

私が長年お役を務めることができたのも、こうした開祖さまをお手本とし、真似をしてきたからです。


前回同様、長沼特別顧問さんの記事を通して、開祖さまのお姿が目に浮かぶようです。

学ぶとは真似ぶ、真似をするということが語源と教えていただきます。開祖さまのことを学んで、どんなところが真似できるでしょうか。今日は何か一つでも開祖さまを真似して取り組んでみましょう。

今日も一日よろしくお願いします。















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