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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)55号~

更新日:2022年1月14日

昨日、衆議院解散となり、19日公示、31日に投開票が行われます。

福井教会では先日もお知らせをした通り、「のだ富久」氏を応援します。

しかし、大事なことは私たち一人ひとりが政治に関心を持ち、有権者として国民の代表を自分たちで選んでいくということです。

そこで今日は、開祖さまのご法話「荘厳国土・利益衆生のために宗教者は政治にどうかかわるべきか」(『佼成』1983年4月)から学んでいきましょう。

  

○仏の本願に添った考え方で


いろいろな選挙が近づいてきましたので、「宗教者は政治にどうかかわるべきか」という問題がまた蒸し返されてきました。このことについては、従来、たびたびお話ししてきましたが、せんじつめれば「仏の本願を現実の世に現すような政治を目ざす」という一事に尽きると思います。そのような政治を実現させるためには、日蓮聖人のように国家諫暁(かんぎょう)(いさめる)をすることもありましょうし、今は一般庶民も選挙権というものを持っているのですから、それを仏さまの本願に添うように行使しなければならないと思います。

では、仏さまの本願とはどんなことでしょうか。法華経の薬草諭品をよく噛みしめて読めば、胸に落ちるようにわかるはずです。つまり「生きとし生けるものに、それぞれの持ち前を十分に発揮せしめ、しかも全体に大きな調和を保たせることによって、この世を幸せな平和世界に化する」ということにほかなりません。

そのような本願を具体化するために、お釈迦さまはどういう道をお示しになったか……それは方便品にはっきり説かれています。すなわち、「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故(ゆえ)に世に出現したもう」とあり、その一大事の因縁とは、衆生に「仏の智慧に眼を『開』かせ、仏の智慧の実際を『示し』、仏の智慧を体験によって『悟らせ』、仏の智慧を成就する道へみちびき『入れ』たいということである」とお説きになっておられます。

仏教者と政治とのかかわり合いについても、ここのところが肝心なのです。人間の知恵でなくて、仏の智慧をもってしなければなりません。もっと具体的にいえば、「仏さまはどうお考えになるだろうか」ということを念頭において判断し、対処しなければならないのです。

仏法を知らない人は、個人の感情とか、自分の住む狭い地域の利害とか、そういうものにとらわれて政治を見、選挙権を行使しがちです。そんなことでは、けっして政治はよくなりません。よくならないどころか、かえって政治家を堕落させ、政治を偏ったものにし、国家全体・国民全体の利益を害う結果となります。そのことは、みなさんが現実に日本の政界に見られるとおりです。

わたしの尊敬してやまない京都・清水寺の故大西良慶老師も、昨年の盂蘭盆会でこう説法しておられます。(『大法輪』昭五八年三月号所載)「仏法の信者はね。正しい判断をするのには、よく考えないかん。よく考えれば知恵が出てくる。感情を出したらあかん。その知恵は仏さんの知恵でないといかん。人間の知恵ではあかん。なぜかと言うと、人間の知恵は誘われたい、誘惑されたいという心がある。ですから、人間の知恵だけではいかん。仏さんの知恵がいる」


今回の選挙は、それぞれがしっかりと考え、取り組む機会にさせていただきましょう。

今日も一日よろしくお願いします。
















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