top of page
  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん) 5号~

更新日:2021年12月9日

暦の上では立春も過ぎましたが、まだまだ寒さは続きそうですね。

今日の一枚は、教会玄関に飾ってある石材店を経営されている信者さんからの寄贈品です。


今日も「道場観」「即是道場(そくぜどうじょう)」について学んでいきましょう。


経典に説かれる教えを胸に深く刻み、教えに即して行動することを「身読(しんどく)」と言います。仏さまの教えを身をもって実践する。それは、職場にいても電車に乗っていても、その場所で経典を読経しているのと同じように尊いことといえます。

生活の場が即道場となれば、教会道場は学びの場、家庭や職場は実践の場と色分けをする必要もなくなります。日々のふれあいや遭遇する出来事のすべてが、道を求めるための〝師〟 に変わります。

そうした心境で過ごすためには、いつでも、どこでも、だれとふれあっていても、そこから何かを学ぼうとする真摯(しんし)な気持ちを持ち続ける — つまり仏道を求める心のアンテナを常に広げていることが大切です。

たとえば、尊敬する人や年長の人と接している時のことを思い起こしてください。いただく言葉が不思議と心に染みてきます。それは、相手の方の豊かな人生経験によるものでしょう。それと同時に、聞く側が この人の言うことならと、道を求める心のアンテナをいっぱいに広げてふれているからともいえます。

逆に、自分と意見が合わず苦手意識を抱く人に対してはどうでしょう。たとえその人の言うことが正しくても、心に染み込んではこないものです。そんなときは、自ら心のアンテナを閉じているのです。

確かに、苦手な人とのふれあいは、だれもが敬遠したくなるものです。まして勤める会社の倒産や、リストラに遭うなどすれば、想像を絶する苦しみが襲いかかってきます。

もしも、そんな状況に直面したら、「いま、ここが私にとっての道場なんだ」という気持ちに切り替えるしかありません。そして、切り替える力は、私たちの一人ひとりに具(そな)わっているのです。

だれでも悩み苦しみます。そして、もがきながら、手探(てさぐ)りしながら、暗闇に道を求めていきます。けれど、夜はいつかは明けるのです。その体験を乗り越えるための努力や培(つちか)った精神力は、私たちの血肉となり、その後の人生に生かされていくに違いありません。


今いる場所が道場であるという気持ちで、目の前の人に喜んでもらえるように、明るく、優しく、温かく、まごころ込めて取り組んでいきましょう。




閲覧数:55回0件のコメント

最新記事

すべて表示
記事: Blog2_Post
bottom of page