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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)61号~

11月15日は、開祖さまの生誕会です。六波羅蜜の学びはお休みして、開祖さまのご幼少の頃のエピソードを、開祖さまの平成ご法話選集『我汝を軽しめず』から紹介したいと思います。


○世のため、人のために

私が四、五歳のころ、祖父におぶってもらって、よく聞かされた言葉があります。それは「世のため、人のためになる人間になるんだぞ」ということでした。その祖父は、若い頃に漢方医の手伝いをしたことがあって、「南庭(なんてい)」という号をもらったそうです。そして、村に急病人が出ると、畑仕事の忙しいときでも応急手当てなどに飛びまわっていました。もちろん、無料奉仕です。

その祖父の姿を見て、私は疑問を持ったことがありました。私の家はとくに裕福だったわけではありませんから、家のことをほったらかして、人のことにかまけていていいものか、と思ったのです。

ところが、病気やけがを治してもらった人たちが、田畑の仕事が一段落すると、畑でとれた作物をもってお礼にくるのです。そのうれしそうな姿を見て、私もだんだんに、「人のためになるというのは、何と気持ちがよいものか」ということが、心に植えつけられていったように思うのです。

「世のため、人のためになる人間になる」というのはごく平易な言葉ですが、「人間にとって最大の喜びは何か」ということを言い当てていたように思います。人間は、まず自分のためを考えるようにできている、と思いやすいですが、ほんとうのところは、そうではないのです。まわりの人の役に立てたときのほうが、ずっと大きな喜びを味わえることは、皆さんもよく体験されていることでしょう。

仏教では「諸法無我(しょほうむが)」と説かれていますが、これも「みんながまわりのために役立ち合うことで、この世界が成り立っている」ということなのです。

法華経には、仏さまがこの世に出られたのは「一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)」があってのことです、と説かれています。その「一大事の因縁」というのは、私たちすべての人間に対して、仏の智慧というものを開き、示し、悟らせ、仏の智慧の道(どう)に入れることなのです。仏さまは、すべての人に「仏性(ぶっしょう)」という仏になれる性質がそなわっているのだから、それをまっすぐに発揮させて、仏になる道(みち)を歩ませたいとおっしゃるのです。

仏さまにそういう「一大事の因縁」があるのと同じように、私たちもまた大事な「因縁」があってこの世に生まれてきたのです。つまりは、みんなが大事な役をもって生まれてきているのです。(『我汝を軽しめず』P240より)


今回は開祖さまのご生誕をお祝いし、感謝を深め、開祖さまのような和かな笑顔で目の前の人に喜んでもらえる触れ合いを心がけていきましょう。

次回までよろしくお願いします。






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