お正月を過ごす中で、「縁起がよい」「縁起が悪い」「縁起をかつぐ」という言葉を耳にしたことも多かったのではないでしょうか。「茶柱が立ったら縁起がいい」「黒猫やカラスに出会うと縁起が悪い」など多かれ少なかれ縁起を気にして生活しています。
「縁起」は元々仏教から出た言葉です。釈尊は「縁起をみるものは法をみる。法をみるものは仏をみる」と諭されました。
今回からは、縁起観(えんぎかん)について学んでいきたいと思います。今回は「縁起観(えんぎかん)・因縁果報(いんねんかほう)」について、「やくしん(2018年1月号)」から学んでいきましょう。
日々の生活では、さまざまな出来事が起こります。それがどんな順序次第で起こるのかが「因縁果報(いんねんかほう)」という言葉で示されています。私たちの生活に置き換えると、「因」とは自分の心のもち方や行ないのこと、「縁」とは自分がふれる人や物事のことです。因と縁が出会うとなんらかの結果、作用が現われ(果)、喜怒哀楽といった感情が生じ、後々まで影響を残すのです(報)。これを端的に表現したのが「縁起」(縁(よ)りて起こる)であり、釈尊の悟りの根本ともいわれています。
釈尊は、この世界に絶対のものはなく、すべて関係性のなかで変化すると説きました。ですから、どんなに苦しい状況に置かれても決して絶望したり、投げやりになったりする必要はないのです。縁の受けとめ方次第で人生はどのようにも変えていけます。目の前の現象に振り回されることなく、一つ一つの出会いを大切にして、真心を込めて善い「因縁」を結んでいけば、必ず善い「果報」が得られるのです。
今回は「縁起観」を意識して、自分から善い「因縁」(出会い)を結んでみましょう。
次回までよろしくお願いします。
写真は、初日の出を浴びて光り輝く大聖堂の「大尖塔」「宝塔」です。
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