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  • 後藤教会長

教会長のいい福通心(つうしん)72号~

今回も、「縁起観(えんぎかん)・因縁果報(いんねんかほう)」について、「やくしん(2018年1月号)」から学んでいきましょう。


私たちが、いまここにいるということは、天地自然の恵みや多くの人の支えによって生かされているということです。この世は縁起―「もちつもたれつ」の関係なのですから、そうした「おかげさま」に感謝し、自分も周囲の善き「縁」となろうとすることは人間として自然な姿でもあります。

善き縁になるとは、相手の喜ぶこと、相手のためになる行ないをすることです。そのためにはまず、どんな出会いも先入観をもたずに白紙の心で受け入れ、素直に心を開いて対処することが大切です。

そして、明るいあいさつや温かい言葉かけ、感謝の行ない、ほめる行ないをくり返す。また、何か頼まれたら誠意をもって応えていく。もし相手に不快な思いをさせたら素直にお詫びする。そのように、相手の仏性を拝み、自分の都合や我(が)を離れ、慈悲の心でふれあいを続けていくと、周りの人も心を開いて、そこに温(ぬく)もりのある交流が生まれます。

善き縁になるということの大事さを学んでも、自分には何かできることがあるのかと思うこともあるかもしれません。この世界は、例えると網の目のようなもので、お互いに他の目によって保たれ、自分もまた他の目にとってなくてはならない存在です。

自分にしかできない役割をしっかりと果たしていくことが周囲の善き縁となることであり、周りの人を生かすことにもなります。それが仏教でいうところの成仏(じょうぶつ)であり、生かし生かされる仏さまの世界を実感することにつながります。

しかし、自分が善い意志をもち、善い行ないをしても、自分自身に善い結果として感じられない時もあります。それでも、それらは必ず目に見えない所で社会を支え、明るくするのに役立っています。善のエネルギーは決してなくなることも、無駄になることもありません。必ずプラスの働きをするのです。


今回は、「縁起観」を意識して、自分から善い「縁」になる行い、例えば、明るいあいさつや温かい言葉かけ、感謝の行ない、ほめる行ない、何か頼まれたら誠意をもって応えていく、もし相手に不快な思いをさせたら素直にお詫びする。等の、自分のできることに取り組んでみましょう。

次回までよろしくお願いします。




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