今日から15日間の寒修行がスタートしました。大寒の入りでもあり、一年で一番寒い時と言いますが、毎日雪が降り、とても寒くて厳しい環境です。本当に寒修行らしいスタートを切りました。まずは一日一日しっかり寒修行に取り組んでいきたいと思います。
今回も、「縁起観(えんぎかん)・因縁果報(いんねんかほう)」について、「やくしん(2018年1月号)」から学んでいきましょう。
私たちの日々の出会いには、有り難いと思うものもあれば、敬遠したくなるものもあります。
しかし、自分にとって都合が悪いと思える縁も、〈私を成長させるために仏さまがくださった有り難い縁〉として前向きに対処していけば、善縁として受けとめることができます。
例えば、お嫁さんがお姑さんに一所懸命尽くしても感謝の言葉が返ってこないとします。冷たい姑だと不満をもつかもしれませんが、「感謝の言葉を言ってくれない姑」ではなく「自分の足りないところを教え、磨いてくれる姑」と気持ちを切り換えれば、真心でふれあえるのではないでしょうか。
「因」と「縁」の和合によって「果」(結果)「報」(影響)が生まれるということは、その果報によって自分の因を知ることができるということです。それも、逆境であればあるほど自分自身を深く見つめることができます。
〈自分中心の心になっていなかったか、行動に誤りがなかったか〉と、自分の至らなさを省み、より成長できるように努力していく。そのようにして果報を見ていくと、成長した喜びやそこに至るまでの感謝の気持ち(報)がまた自分の「因」となり、「因→縁→果→報……」と次々に展開していくのです。
そのような心に高まれば、どんな問題に出会っても前を向いていけるようになります。縁の受けとめ方は、いわばその人の「癖」です。一つ一つの縁を大切にしていく積み重ねによって、それが「習慣」となり、人格が磨かれていくのです。このように、因縁果報の法則は、私たちを仏の境地に引き上げたいという本仏の慈悲の働きでもあります。無駄な縁は一つもなく、すべては「仏縁」なのです。
開祖さまは「私の一生は無数の人々との出会いによって導かれ、築かれてきました。出会いというものは有り難いものです。いつでも、どこでも、出会った人を大切にする―それが仏さまの教えに適った生き方であるように思います」と述べられています。すべての出会いに心から感謝できる人こそ、真理を悟った人といえるのではないでしょうか。
相手はなかなか変えられませんが、自分の気持ちの持ち方は自分で変えていくことができますね。
寒修行の期間、出てきた「果報」を通して、自分の「因」をふり返ってみましょう。
今回もよろしくお願いします。
Commenti