おはようございます。教会長の後藤です。
2月に入り、寒修行も残すところあとわずか。最後までしっかりと三部経読誦をさせていただきましょう。今日の一枚(写真)は、福井教会
.の玄関です。少しずつですが、どの年齢の方も安心して参拝できるように整えていただいています。
今回も、「縁起観・因縁果報」について、開祖さまご法話「縁を大切にする」(佼成1994.11)から学んでいきましょう。
○仏さまからの呼びかけ
自分の因にふさわしい縁と出会うということは、出会う縁によって自分の因を知ることができるということです。昔から「人のふり見て我がふり直せ」というのも、そのことにほかなりません。
自分をふり返ってみると、いろいろ煩悩(ぼんのう)が目について、「自分は悪因のほうが多いようだ」という人もいるかもしれません。しかし、がっかりしないでいいのです。私たちは仏性(ぶっしょう)を授かっているのですから、煩悩ばかりのような人でも必ず、その仏性にふさわしい縁に出会えるのです。
法華経の方便品には「仏種は縁に従(よ)って起(おこ)る」と説かれています。私たちには仏になる種がそなわっているのですが、それは緑にふれることで起こってくる、というのです。つまり、仏さまは仏たちに、「早く仏性に目ざめなさい。まっすぐに仏道を歩みなさい」と、絶えず呼びかけてくださっているのです。その呼びかけが、私たちが出会うさまざまな縁だということです。
また、より積極的に、自分が出会う人の「縁」になることもできます。自分がよい縁になることで、どんな人に出会ってもよい果報を生み出すこともできるわけです。
ですから、「縁を大切にする」というのは、出会う縁によって自分の心のあり方を切り替えるとともに、自分が相手のよき縁になることでもあるのです。具体的な行ない方としては、まず出会う相手を大切にすることで、相手に精いっぱい尽くすことです。人さまに真心で接し、誠心誠意、喜びに結びつくような心の持ち方をしていくことです。常不軽菩薩のように出会う人、出会う人を合掌して、相手の仏性を開いていくこと、それが縁を大切にすることです。
今回は、出会う縁を通して、縁から自分自身をふり返り、成長への学びにしていきましょう。
次回までよろしくお願いします。
拝む行為とは、 恩我無なり。 合掌とは、我消なり。