今日から3月に入りました。「一月は行く」「二月は逃げる」「三月は去る」という言葉を耳にすることがありますが、寒修行が終わったと思ったら、もう三月!という方も多いのではないでしょうか。
先月の25日に、ロシアがウクライナに侵攻をはじめました。ニュースで非難されている方々の様子を見ると憤りと悲しみを感じます。
本部からいただいた、「ウクライナ情勢平和的解決祈願供養式文」を通して、各家庭で祈願供養に取り組ませていただきたいと思います。このような時だからこそ、会長先生の「平和」についてのご法話を通して、自分自身が平和な人にならせていただきましょう。
○まず足元を平和に 『躍進』2021年3月
一日も早く世界が平和になってほしい――これは、全ての人々に共通する願いです。ところが、あらためて「平和とは何か」と問われると、曖昧になったり、抽象的になったりすることがよくあります。
東洋思想の泰斗(たいと)として知られた安岡正篤先生は、こう喝破されています。「人間活動の重要な問題に『縁(えにし)』というものがある。全ては縁に随って行うべきものだ。人を愛することも、世界や人類といった空虚な概念を弄する前に、先ず家庭や隣人から始めてゆかなければならない」。
私たちが、常に心しなければならない大事な視座であると思います。家庭内にいざこざを抱え、たびたび周囲の人とぶつかっている人が、人類愛や世界平和を唱えても、まったく説得力がないからです。
浄土宗の高僧であり、仏教学者であった椎尾弁匡(しいおべんきょう)師も次のような歌を詠まれています。「時は今 ところあしもとその事に うちこむいのちとはのみいのち」。いまいるところで、いまなすべきことに、魂を打ち込んで取り組んでいくことが、そのまま永遠の生命につながる。それこそ人生の真に生きる道である、という意味合いです。
両師は、共に足元の実践の大切さを強調されています。まず自分自身が平和な人になり、家庭や地域に一つひとつ調和を築いていくことが、より良い社会や国、世界を創造する出発点であり、原動力であることを示されているのです。
とりわけ家庭は、人間形成の根本道場です。親が、ご宝前を中心とした生活をおくり、明るく、優しく、温かい言動を心がけることは、未来を担う幼少年、青年たちに「平和の種」を蒔くことにほかなりません。
本会は、「斉家(家庭を斉える)」を大事な指針の一つとしていることを忘れないようにしてまいりましょう。
祈願供養と共に、自分自身が平和な人になり、身近なところ(家庭や職場、地域)から調和を作り出していきましょう。
気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。
次回までよろしくお願いします。
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