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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)89号~

4月8日は仏教三大行事の一つの「降誕会」、お釈迦さまがお生まれになった日です。「降誕会」を迎えるにあたって、会長先生のご法話「誕生偈と私たちの自覚」(『躍進』1998年4月)から学びたいと思います。


○一人ひとりが、みな尊い

釈尊は誕生されたとき、東西南北に七歩ずつ歩まれ、「天上天下 唯我独尊」とおっしゃったと伝えられています。これは後世の仏伝によるものですが、そこには深い意味がこめられていると思います。

それはどういうことかというと、当時のインドではさまざまな宗教が信仰されていましたが、総じて、人間の運命は神々に支配されていると考えられていたようです。釈尊は、そうした神頼みの宗教を超えて、人間が真理・法を認識することによって、すべての苦悩から解脱(げだつ)できる、という革新的な教えを説かれたのです。

ですから、釈尊がこの世に誕生され、そして悟りを開かれたことによって、世界のすべての人の救われが成就したといえるわけで、釈尊の誕生と成道(じょうどう)にはほんとうに大きな意味があります。そのことを讃嘆して、「天上天下 唯我独尊」の誕生偈が伝えられたのだと思うのです。

「天上天下 唯我独尊」という言葉を表面的に解釈すると、世の中で釈尊お一人が尊いことになりますが、そうではありません。真理・法を悟られた釈尊が尊いということは、私たち人間一人ひとりの尊いことを教えているのです。また、さらには宇宙に存在するすべてのものが尊いことを教えているのです。

私たちはみんな、この宇宙世界に一人の人間として、かけがえのないいのちをいただいているわけです。「唯我独尊」は、そのことの尊さを表現しているのです。

いのちの尊さに気づくのは、いつも申しあげているように、無常の法によるのです。この世は無常で、私たちのいのちは限られている。その私たちのいのちが限られていると気づくこと、無常を認識する能力を賦与(ふよ)されたことが大事だと思うんですよ。

また、私たちのいのちは、直接的には両親からいただいたものですが、さらにその根本を見ていくと、宇宙のあらゆるものごとの恩恵によって、いま、ここにあるのです。

私たちは、あらゆるものごととの関連のなかで生かされているのです。一人ひとりがそうした不思議ないのち、有り難いいのちをいただいている。無常の法を認識することによって、そういういのちの不思議さ・有り難さが分かってきます。

そして、「このいのちこそ、何よりも不思議で有り難いのだ」と気づくと、たとえいかなる苦しいことに出遭っても、それを乗り越えていけるのです。


今回は、お釈迦さまの降誕をお祝いし、誕生偈を通して自分や目の前の人のいのちの不思議さ尊さを味わっていきましょう。

気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。

次回までよろしくお願いします。





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