明日3月11日は東日本大震災から11年を迎えます。地震による津波の影響で多くの方々が犠牲になり、未だに大変な思いをされている方々がたくさんいらっしゃいます。
東日本大震災から2年後の会長先生のご法話「心に寄り添い、ともに歩む」(『佼成』2013年3月)を通して、もう一度どのようなことを大切にしていくかを学ばせていただきましょう。
○心から願う
法華経には、多くの菩薩たちが登場されます。なかでもよく知られている観世音菩薩は、現実の社会で苦しむ者の声を聴きとり、さまざまな姿、形に身を変えて、救ってくださるといわれます。
観世音菩薩普門品に「慈眼視衆生(じげんししゅじょう)」とありますが、慈悲の眼で人を視る観音さまは人間の一つの理想像であり、現実のふれあいにそれをあてはめると「真実の友情、同情、共感」ということになりましょうか。
ただ、一昨年の東日本大震災のようなことが発生したとき、私たちはなすすべもなく立ち竦(すく)んでしまいます。実際に自分自身が味わったことのない困難をどう受けとめればいいのか、苦しむ人の心に寄り添い、ともに歩むとはどういうことかを考えさせられました。
あの日以来、多くの人が「自分に何ができるのか」と、慈悲の実践ということについて思いをめぐらしてきたのではないでしょうか。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」という言葉があります。他とのつながりを絶たれた孤立や孤独こそ、愛や慈悲のない状態だということです。
その意味では、苦しんでいる人たちのことを忘れることなく思いやり、苦悩が少しでも和らぐようにと心から願うことが、それらの人に寄り添うこと、慈悲の実践をすることといえそうです。
具体的な支援ができるならば、それを継続することが大切ですが、たとえボランティア活動や金銭的な援助が思うようにはできなくても、苦しむ人の幸せを願い、祈ることは、だれにもできる慈悲の実践にほかなりません。
皆さんの中にも自分になにができるのかと考え、募金やボランティア活動に取り組まれた方が多いと思います。
まずは無関心にならないことが大事で、東日本大震災で犠牲になられた方、未だに大変な思いをされている方々に思いをはせ、それぞれの場で祈りを捧げたいと思います。
このことは、現在、ウクライナへロシアが侵攻し、多くの方が家を追われ犠牲になっている方々に対しても同様ではないでしょうか。
「具体的な支援ができるならば、それを継続することが大切ですが、たとえボランティア活動や金銭的な援助が思うようにはできなくても、苦しむ人の幸せを願い、祈ることは、だれにもできる慈悲の実践にほかなりません。」と、あるように、毎日のご供養の中で平和的解決を願い、祈りを捧げていきましょう。
気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。
次回までよろしくお願いします。
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