前回から、「ご宝前を中心にした生活」を『やくしん』(2004年12月)の特集から学んでいます。今日は、ご宝前とはどんな場所なのか、「ご宝前は傷のいえる場所」、「自分の目標を見つめる場所」ということを学んでいきましょう。
さて、人間として成長していくためには、<傷つく場所>と<傷をいやす場所>の二つが大切といわれています。
雨が降って地が固まるように、人間の成長にとって傷つくこともまた大切なことです。けれども、その傷をいやし、立ち上がる力に変える場所がなければ、いたずらに落ち込んでいくばかりです。
善悪、正誤、勝ち負けなど、相対的な価値観が支配する中での生活は、何かと心が傷つくものです。そんなとき、ご宝前の前に座り、いいも悪いもなく自分のすべてをあたたかく包み込んでくれる仏さまのぬくもり感じてみてください。
「だれも私の気持ちなんか分かってくれない」、と思ったときでも、仏さまだけはすべてを分かってくれると信じられれば、心がどれだけ軽やかになることでしょう。
仏さまは、人を裁いたり、善悪をつけたりする存在ではありません。ご宝前は、いまの自分をすべて受けとめてくれる場所なのです。
しかし、すべて受けとめてくれるといっても、好き勝手をしていいということではありません。同時に仏さまは、私たちが幸せになってほしいという願いを、つねに抱かれています。ご宝前は、そうした仏さまの願いに気づく場所でもあるのです。
そして、仏さまは、幸せになるための道を、経典をとおして私たちに示してくださっています。仏さまの願いに応えるためにも、朝夕のご供養のなかで、ご宝前に向かい、つねに自分自身の目標をみつけていく心構えをもちたいものです。
今回は、ご宝前の前に座り仏さまのお顔を拝顔し、自分自身を振り返る中で仏さまに護られていることを感じてみましょう。
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次回までよろしくお願いします。
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